村上春樹『一人称単数』の中の一編になります。
自分は村上春樹好きで、本書を1作品ずつ紹介しています。
ネタバレあり、閲覧注意です。
今回は3作目「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」。
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3『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』(p51~p69)
【あらすじ】
僕は大学生の頃、架空のレコード批評を書いた。「チャーリー・パーカー(=バード)がボサノヴァを演奏した」という内容の。15年後、その実在しないはずのLPを、ニューヨークのレコード屋で見つける。
結局買い逃してしまうが、後日に夢を見る。バードが自分の為に、その架空の曲を演奏し、そして感謝の言葉さえ述べる夢を。
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【解説】
こういう文章は自分は書けない。そう思いました。音楽に対する知識と、その表現力。「文章はその場面を想像させる」という機能があるのですが、その、目・耳・鼻・舌・肌、の五感をどう読者に伝えるか。
この物語は、全体が想像力に満ちています。最初の学生時代の投稿の文章から、NYのレコード店でのLPとの出会い、そして最後のバードの演奏まで。架空と妄想と夢と、どれも実在の証拠が無い。
「あたなたにはそれが信じられるだろうか?
信じた方がいい。それはなにしろ実際に起きたことなのだから」
これが冒頭と最後の〆の言葉です。
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【感想】
今回じっくり感想文をやっていて良かったと思います。まずこういう物語は何も感じないまま見逃してしまいます。感想としては「不思議な話かな」ぐらいにしか思えないまま。
聞いた話に、某高校には「銀の匙」や「羅生門」を1年かけて講義をする国語の先生がいたとか。文章一つ一つの、意味や狙いを問いかけ説明する。じっくり向き合わないと、気づかないことがある。
この物語では、夢や妄想が現実に与える影響とか、その境界がテーマで、私たちが追ってるものは「夢や妄想ではないか?」 との思いがわきました。頭の中にしかない何かを、現実にまたは文章に投射している。それを巧みな表現で伝える筆者の技術はさすがですね。
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